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​木梨軽皇子

​允恭天皇の第一皇子 皇太子
生没年不詳
古事記では親族の軽大娘皇女と情を通じたことが原因で廃太子、伊予に流される
日本書紀では軽大娘皇女が流刑。木梨軽皇子は討たれたとされている
処罰の主体:朝廷
​飛鳥→伊予

古事記では情を通じた両者のラブロマンスのように書かれている
​日本書紀では美男子であると強調して書かれている
愛媛県四国中央市にある東宮山古墳が木梨軽皇子の墓とされ、宮内庁陵墓参考地とされている
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